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ウイークリーニュースONZE×BizBuz:世界も認めた!ジャパニーズウイスキーを作った男

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BS11の報道番組「ウイークリーニュースONZE」のビジネス情報コーナー「BizBuz」では、「世界も認めた!ジャパニーズウイスキーを作った男」と題して、世界で高い評価を与えられたウイスキーを作ったサントリー創業者の鳥井信治郞の生涯を紹介した。
 サントリー酒類のウイスキー「響21年」が7月、英国で開催される世界的な酒類の品評会「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC)」で、ウイスキー部門の最高賞「トロフィー」を2年連続で獲得。さらに同社は、高品質な製品を生んだメーカー1社だけに贈られる「ディスティラー・オブ・ザ・イヤー」を3年連続で受賞した。本場・英国でも高い評価を受ける“ジャパニーズウイスキー”は約1世紀前、サントリーの創業者・鳥井信治郞の「日本人の繊細な味覚に合う日本のウイスキーをつくる」という夢への挑戦から始まった。
 1879年に生まれた信治郞は13歳で、大阪の薬種問屋に奉公に出て、ウイスキーやぶどう酒と出会う。20歳になった1899年、独立して大阪市西区に「鳥井商店」を開業し、輸入したぶどう酒を売り出したが、当時の日本人の口には合わなかった。そこで「自分の手でつくる」とブレンドの試行錯誤を重ね、1906年に社名を「寿屋洋酒店」と改め、翌年に「赤玉ポートワイン」を発売し、大ヒットとなった。
 ブレンドによって独自の味を生み、自信を深めた信治郞は、ワインの利益をつぎ込んでウイスキーづくりの野望に乗り出す。スコットランド以外でのウイスキーづくりは不可能とされ、周囲の反対も強かったが1924年、千利休も認めた名水を持つ京都・山崎に蒸留所を建設、日本初の国産ウイスキーづくりが始まった。
 醸造した原酒も熟成には時間がかかる。かさむ一方の費用を捻出するため、多角経営にも取り組み、信治郞はブレンドに明け暮れた。1929年、日本初の本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札(のちのホワイト)」を発売。信治郞は最新技術で原酒の品種改良に取り組み、1937年に「サントリーウイスキー角瓶」を発売、ついに認められた

 戦後の混乱期に「うまい、やすい」の「トリスウイスキー」を発売。1950年には「オールド」が登場し、世は洋酒ブームに。1960年5月、創業60周年を記念して信治郞がマスターブレンダーを務めた最後の作品「ローヤル」が発売され、ウイスキーづくりは次世代へと受け継がれた。
 そして創業90周年を記念して厳選された原酒を絶妙にブレンドした「響」が誕生。2004年にISCで「響30年」が最高賞を初受賞し、ジャパニーズウイスキーはついに世界で認められた。サントリー種類の多田寅・ウイスキー部課長は「いいところは徹底的に良くし、変えるべきところは思い切って挑戦する“継承と革新”が90年間生き続けている。信治郞が挑戦した日本人の繊細な味覚に合うウイスキーは『パーフェクトバランス』という評価を世界から受けています」と語る。
10月5日放送
放送時間:BS11毎週日曜日 午後6時00分~6時55分
キャスター:
元村 有希子(毎日新聞編集委員)
徳光 美鈴
コメンテーター:
二木 啓孝(BS11解説委員)
BizBuzコーナー
出演:猪狩 淳一(毎日新聞デジタル)
Category
演芸 - Entertainment
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